ブルートゥースキーボード買ってみた
おっさんパパはこのブログを更新するのにスマホを利用しているのだけど、仮想キーボードによる文字の入力の効率の悪さにとても辟易してしまいました。
最近の若い人たちは、キーボードより、スマートフォンの画面上の仮想キーボードの方が入力が早いらしいけど、旧世代のおっさんパパは、やはり、キーボードのほうが圧倒的に効率が良いのです。
というわけで、スマートフォンでも文字入力できるようにするために、ブルートゥースキーボードを買っちゃいました。 logi K380 blue です。
接続時の暗証番号入力に少し手間取ったものの、一度つなげたら。。まぁ素敵。
やっぱりキーボードはいいですねー。
この文章も5分位でかけました。
スマートフォンの仮想キーボードだと多分20分くらいかかったと思います。。
久しぶりにいい買い物をしましたよ。
プリキュアを見て泣けました
娘の希望で「映画HUGっと!プリキュア▽ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」をみに行きました。
娘が喜ぶならと、行きましたが、いざはじまってみるとなかなか引き込まれる展開でしたよ。
久しぶりの映画館で、音響などが良かったのもあり、かなり感情移入してしまい。。気付いたら涙がホロホロこぼれてました。
そんな自分にビックリです。
涙脆くなるのも、おっさん化の一つかもしれませんねぇ。
5才の娘がクイズの答えを先に言ってしまったのが恥ずかしくて、しまいには怒り出しちゃった件
ニックネームにもある通り、おっさんパパには保育園に通う娘がいます。
保育園児と言うのはある意味おっさんから最も遠い存在では無いかと思います。
自由きままな発言と行動をしながら、心身ともに目に見えて成長を続けている存在だからです。
仕事から帰って、食卓で一人で、遅めの晩御飯を食べていると、娘パパ子がツカツカと寄って来て、唐突にクイズを出してきました。
パパ子「ケイサツが嫌いなオサツってなーんだ。」
ご飯を食べながら、疲れた頭で考えましたが、なかなかこれと言った良い回答が思いつかず、黙ったまま多分数十秒経過しました。
近くで聞いていたママが、仕方ないわねといった顔で、
ママ「ケイサツ」
と、どうやら答えを先に言ってしまいました。
パパ子「言わないで〜。パパに聞いたのに!」
ママ「だってパパ子が答え言ってるじゃないの。」
パパ子「。。。」
パパ子「。。。」
パパ子「。。。」
パパ子「もうママ嫌い!」
やり取りをここまで聞いて、おっさんパパはようやく、パパ子がクイズの出し方を間違っていたことに気が付きました。
そして不機嫌なパパ子をよそに、大笑いしてしまいました。
・だれかにクイズを聞いた。
・面白いので披露したくなった。
・ママに披露したら褒められた。
・パパに披露したら、ケイサツとドロボーを間違えて言ってしまった。
・恥ずかしさと残念さが入り混じって、ママに八つ当たりした。
おっさんパパが何度も思い出し笑いするので、最後にはパパ子もつられて笑っておりました。
パパ子にはいつも元気を分けてもらってます。
こんなくたびれた、おっさんパパのもとに生まれて来てくれてありがとうね。
一番理解できているつもりで、一番理解できていない存在かもしれない5才の娘との他愛ないやり取りでした。
ぎっくり腰が治らないと医者に言われてショックを受けた件
おっさんパパは腰痛持ちです。
起き上がれないほどのぎっくり腰になった事がこれまでに2回あります。
ぎっくり腰になった時に医者に言われましたが、おっさんパパの腰痛は根本的には治らないそうです。
背骨の骨と骨の間に椎間板と言う軟骨があることは皆さんご存知だと思いますが、おっさんパパの椎間板は正常な人と比べて随分と減っていました。。
年を取ればさもありなん。
でも元に戻らない事実を突きつけられるとそれ相応のショックがありますね。
10代、20代は今日よりも明日の方がより良くなっていると言う感覚の中で日々過ごしていました。
無理をすればする程、苦しい事もふえるけれど、それはさらに自分を強くしてくれると信じてましたし、実際そうである事が多かった。
今では、無理をすると、それなりに得るものはありますが、失うものも出てくるようになりました。
おっさんになると言うことは、その事を身を持って知るようになる事なんですね。
腰痛は適切に処置すれば、元の痛み無き状態に戻ると言うのは思い込みでした。
腰痛対策用のサポーターと腰痛体操の手引きをもらい、病院を後にした時に、あぁ。治らないんだ、これ以上痛みがひどくならないようにする事しか出来無いんだ。
とひどく寂しくなりましたよ。
老眼になった事を自覚して、激しく動揺した件
おっさんと呼ばれて動揺しなくなるまでにいくつか経験してきた事があります。
最もおっさんを感じた時とはどんな時だったでしょうか。
おっさんパパにとって、それは老眼になった事を自覚した時でした。
出来事は居酒屋で起こりました。
久しぶりに同僚と居酒屋で飲んでいる時の事、おっさんパパと同い年のその同僚が、ビールでいいかな?と言いながら、目の前にメニューを突きつけて来ました。
後で知りましたが、そいつも老眼はじまってたそうで、わざとやったそうです。
20cm位の距離に差し出されたメニューを軽い目眩のようなものを感じながら眺めていましたが。。
う〜ん。。あれれ?
どんなに頑張っても、ピンボケした文字が一向にクッキリしないのです!?
わずか10秒程のこの出来事の間に、おっさんパパは激しい焦りとショックを感じていたのでした。
そう、老眼です。
これが最初に自覚した老眼でした。
老眼は、正式には老視と言うそうですね。
言葉にすると老衰死みたいで紛らわしいので、多分老眼の方が一般的に使われ続けるんでしょうね。
おっさんと呼ばれることに抵抗がなくなってきた
いつの頃からか、おっさんと呼ばれることに抵抗が無くなってきました。
多分、人として伸び代が無くなってきたからだと思います。
人としての伸び代なんてちょっとカッコつけた言い方してしまいました。
早い話が肉体的な衰えが顕著になったと言うこと、それを自覚せざるを得なくなってきたと言うことです。
おっさんパパは誰が見ても、接しても、おっさんですが、それでもそんなことはないと、これまで言い訳して生きていました。
でも、ようやく自分に素直になれました。
そして何だか楽になりました。
これからしばらくは、自分がおっさんになることに、如何に抗って来たか、そして受け入れてきたかを記していきたいと思います。
これからおっさんになる人は、「そんなもんなのかねぇ。。」的な、
すでにおっさん以降の人は、「そうだったかもねぇ。。」的な、
そんなゆるい読み方してくれると嬉しいです。